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東京高等裁判所 平成5年(う)264号 判決 1994年4月06日

本籍

長野県南佐久郡臼田町大字入澤三三〇三番地

住居

東京都渋谷区代々木四丁目二八番八-七〇六号

元団体役員

三戸部郁文

昭和一四年四月六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成五年一月二六日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、検察官及び被告人からそれぞれ控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官福井大海出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年一〇月及び罰金八〇〇〇万円に処する。

原審における未決勾留日数中四〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは金四〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

検察官の控訴の趣意は、検察官高橋武生名義の控訴趣意書に、被告人の控訴の趣意は、弁護人赤松幸夫及び同相原英俊連名の控訴趣意書に、それぞれ記載されたとおり(いずれも量刑不当の主張)であるから、これらを引用する。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて原判決の量刑の当否について検討する。

第一事案の概要等

本件は、不動産売買の仲介及び立ち退き交渉等を行って多額の手数料収入を得ていた被告人が、自己の所得税を免れようと企て、右手数料収入につき他人名義の領収証を相手方に交付し、あるいは貸付金の返済を受けたように装うなどの不正な方法により所得を秘匿した上、(1)昭和六一年分の実際総所得金額が四九万一四九四円、分離課税の土地等の雑所得金額が四億一三二六万九七〇〇円であったにもかかわらず、納期限までに所轄税務署長に対し、所得税確定申告書を提出しないでその期限を徒過させ、もって、正規の所得税三億〇四二六万四九〇〇円を免れ、(2)昭和六二年分の実際総所得金額が二九六万一六六二円、分離課税の土地等の雑所得金額が二億四一八五万八三三八円であったにもかかわらず、納期限までに所轄税務署長に対し、所得税確定申告書を提出しないでその期限を徒過させ、もって、正規の所得税一億六〇七六万〇四〇〇円を免れた事案である。

原審検察官は、右事実につき、被告人を懲役二年六月及び罰金一億五〇〇〇万円に処すべきである旨の求刑意見を述べ、これに対して原裁判所は、被告人を懲役一年一〇月及び罰金二〇〇〇万円に処する旨を宣告した。

検察官は、原判決の量刑は逋脱税額の約四・三パーセントという極めて低額の罰金刑を併科したに過ぎない点で、所得税法違反事件における懲役刑と罰金刑併科制度の趣旨に実質的に反するとともに従来の裁判例とも甚だしく均衡を失しており、著しく不当であると主張し、他方弁護人は、原判決の量刑は懲役刑に執行猶予を付さなかった点で、重過ぎて不当であると主張する。

第二検察官の控訴趣意について(原判決の罰金額の当否について)

一  直接国税逋脱犯に対する罰金刑併科の趣旨

直接国税逋脱罪のような利欲的・営利的犯罪についての罰金刑併科の趣旨とするところは、犯人から相応の金額を剥奪することにより、不法利益の取得を目的とする犯罪行為が経済的に引き合わないことを強く感銘させる点にあるものと解されており、当裁判所も、そのような理解が妥当なものと考える。右の立法趣旨から明らかなように、罰金刑は、附加刑である没収、追徴とは異なり、不法利益そのものの剥奪を本来の目的とするものではなく、不法利益を獲得しようとする犯罪行為の無益なことを犯人及び世人に悟らせる点に主眼があるのである。以上から、(1)犯人が当該犯罪行為によって現実に不法利益を取得したか、取得した不法利益が犯人の手元に現存するかは、罰金刑併科の可否ないし当否及び併科する場合の罰金額の決定に直接関係がないこと、(2)罰金額の感銘力を効果あらしめるためには、犯人が、当該犯罪行為によって取得しようとした、又は実際に取得した不法利益の多寡を罰金額に反映させる必要のあること、(3)また、同額の罰金でも、これを納付する者の経済的状態によりその受ける苦痛が一様ではないことから、罰金額の決定に際しては犯人の資力如何を無視できないけれども、労役場留置の処分が定められていることをも勘案すると、裁判時における犯人の資力の点を過大に考慮することは前記立法趣旨を損なう結果を招くこと、などの考察が導かれる。

更に、直接国税逋脱犯における罰金刑併科については、特に次の三点に留意されるべきである。

すなわち、直接国税逋脱犯については、未遂罪の処罰規定がないことから、これを処罰すべき場合は常に逋脱の結果が発生し、したがって犯人が同額を現実に利得しており、罰金刑併科の必要が一層強いというべきであること、したがって、また、前記(2)に指摘した趣旨を徹底するためにも、逋脱税額が法定の罰金刑の多額を超過した場合、その多額を逋脱税額以下までスライドさせることが認められていること(所得税法二三八条二項、法人税法一五九条二項等参照)、租税の賦課及び執行手続における、同一の担税力を有する者には同一の租税負担を課すべきであるとの租税公平主義の要請は、租税逋脱犯に対する量刑の場においてもできる限り尊重すべきであり、個人的事情の如何を問わず租税法規上同一の担税力を認められて同一の課税がなされた者につき、これを逋脱した場合の刑罰がその個人的事情によって極端に区々になることは、租税公平の原則を乱し、納税者の納税意欲を阻害する結果を招くおそれなしとしないこと、の三点である(以上の説示につき、当庁平成四年(う)第一六六号所得税法違反事件についての当裁判所平成六年三月四日判決参照)。

二  従前の科刑の実情について

以上を踏まえて、納税義務者自身が行為者である所得税逋脱犯に対する従前の科刑の実情をみると、懲役刑が実刑であるか執行猶予付であるかに係わらず、ほぼ例外なく、逋脱税額の一定割合(平均して二〇パーセント強)の額の罰金刑を併科するという運用が確立していることは当裁判所に顕著な事実である。

このような運用の実情は、先に一で披瀝した当裁判所の見解とも合致するものであると考えられる(罰金額を右の割合に止めている点については、納税義務者である行為者に対しては罰金とは別に行政上の制裁として逋脱税額の三五パーセントないし四〇パーセントに及ぶ重加算税を課されることから過酷な結果に陥ることがないように配慮したものと評価すべきである。)。したがって、同運用を十分尊重すべきであり、事案の具体的内容に照らし、特段の合理的事由の認められない限り、これに反する量刑は相当性を欠くものというべきである。

そこで、次に本件の具体的情状を検討する。

三  本件の具体的情状

本件は、前示のとおり、納税義務者自身による昭和六一年及び同六二年の二年分にかかる所得税逋脱の事案であり、逋脱税額が二暦年分の合計で四億六五〇二万五三〇〇円という高額に上っており、逋脱率も虚偽不申告事案であることから当然に一〇〇パーセントとなっている。専ら利欲的な動機に基づく犯行と認められ、そこに酌量すべき余地は少なく、また、逋脱の手段・方法等についても、留保した所得に関し被告人の実名で預金し、あるいは実名で株を購入するなど稚拙な一面を否定できないものの、多数の他人名義の架空領収証を用い、脱税の嫌疑を受けた場合を想定して消費貸借の存在を装うなど、当初からの強固な犯意に基づく計画的、かつ、大胆、巧妙な犯行というべきである。被告人は、自己が仲介などした不動産取引の関係者に対し、「税金のかからない金を渡す」旨述べて多額の裏金を交付したり、架空領収証を交付したりして、その脱税を慫慂、助力したばかりではなく、平成元年一二月二七日に至って両年分の所得税につき期限後申告をしたものの、その内容は両年分の合計所得が六九五〇万円とする実体と大きくかけ離れた虚偽過少のものであって、被告人の反規範的態度ないしは健全な納税意識の欠如は著しいというほかない。そして、本件脱税に関し、本税のうちの一億五〇〇〇万円余が未だ納付されていないのみならず、延滞税や重加算税の大部分(平成四年九月二二日現在で合計二億二八〇〇万円余)が未納であり、地方税の相当部分も未納であることが窺われるところ、その各納付の見込みについては楽観できない状況にあり、このように租税債権に対する侵害状態はなお完全には回復されていないことが明らかである。

以上のとおり、本件においては被告人に不利益な情状が少なくないところ、他方、被告人は、捜査段階においては種々の不合理な弁解をしていたものの、原審公判段階に至って素直に事実を認め、反省の態度を示していること、平成四年九月二一日の終値で合計一六四五万五〇〇〇円相当の株券及び元本二五〇三万円余の貸金債権が国税当局に保全されているところ、被告人には他に見るべき資産等はないと認められること、妻が二人の子供とともに被告人の帰りを待つ旨を述べているほか、被告人の兄、姉らが被告人の更生に助力する意向を持っていると認められ、また、健康に不安のある被告人の長兄が、自己が住職を勤める長野県所在の古刹の門跡を被告人に継がせたいとの希望を持っており、檀家においてもこれを容認し、被告人もこれに応ずる意思があること、被告人には道路交通法違反(速度違反)罪による前科のほかに前科がないこと、などの被告人に有利に斟酌すべき事情も存する。

四  原判決の罰金額の当否

以上の諸事情を総合考慮すると、本件につき、前示の罰金刑に関する従前の科刑の運用にことさら反した量刑をすべき特段の合理的事由があるとは到底認められず、原判決の量刑は、懲役刑に併科した罰金刑の金額が逋脱税額の約四・三パーセントという低額な点において著しく軽きに過ぎるものといわざるを得ない(因みに、原判決はこのような低額な罰金刑を併科した特段の理由について明確な説示をしているとは認められない。)。

以上のとおり、検察官の論旨は理由がある。

よって、弁護人の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、被告事件につき更に次のとおり判決する。

第三自判の裁判

原判決が認定した各事実に、原判決と同一の法令を適用し(刑種の選択及び併合罪の処理を含む。)、その刑期及び罰金額の範囲内で処断すべきところ、量刑に関する前示の諸事情によれば、弁護人の所論にもかかわらず、本件が懲役刑につき執行猶予を相当とする事案とは考えられず、また、逋脱税額に相応した金額の罰金刑を併科すべきであるから、被告人を懲役一年一〇月及び罰金八〇〇〇万円に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中四〇日を右懲役刑に算入することとし、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金四〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 森眞樹 裁判官 林正彦)

平成五年(う)第二六四号

○ 控訴趣意書

被告人 三戸部郁文

右の者に対する所得税法違反被告事件について、弁護人は、次のとおり控訴理由をのべる。

平成五年四月一六日

右弁護士 赤松幸夫

同 相原英俊

東京高等裁判所第一刑事部 御中

原判決は、罪となるべき事実として公訴事実と同旨の事実を認定し、検察官の「懲役二年六月、罰金一億五〇〇〇万円」の求刑に対し、「被告人を懲役一年一〇月及び罰金二〇〇〇万円に処する。未決勾留日数中四〇日を右懲役刑に算入する。右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する」との判決を言い渡したが、被告人を実刑に処した同判決の量刑は以下に述べるとおり、著しく重きに過ぎて不当であり、到底破棄を免れないものと思料する。

第一 原判決の量刑理由について

一 原判決の量刑理由は、趣旨

<1> 本件における二年合計四億六五〇二万円五三〇〇円という脱税額は、近時極めて高額のほ脱犯が頻出したものの、なお高額の範疇にある。

<2> 全く申告をしないという点で悪質事案であり、また、被告人は、他人の税務調査に関して聴取された際に自らも納税を行うような口吻を漏らしたことはあるものの、自ら積極的に赴こうとしたこともなく、平成元年一二月二七日に至って二年度の合計所得が六九五〇万円、税額が二八一〇万八八〇〇円とする期限後申告をしているにすぎないのであって、健全、誠実な納税意識が希薄であった。

<3> ほ脱の手段・方法については、多数の架空領収書を作成させて所得を秘匿するなどしている一方、その所得の相当額を実名によって留保するなどし、秘匿の態様は一見稚拙に見えるものの、右は課税庁を侮る態度の下に行われたものともみられ、格別斟酌すべき事情とも認められない。

<4> 査察が入った後にも捏造した消費貸借、あるいは虚偽の申述がなされたなどを主張し、右を補強するために関係者を相手に民事訴訟を提起するなどしており、犯行後の態様も悪い。

<5> その他被告人は自己の関係する不動産取引について、各関係者に脱税のために裏金を交付し、あるいは架空領収書を交付するなど自ら脱税をするだけではなく、第三者に対しても脱税の助力をしているのであってその反規範的な性格は顕著である。

というものである。

二 右<1>については、本件脱税額がある程度多額であることは、当弁護人においても否定しないところであるが、その額は、被告人の反省の程度や脱税にかかる税金についてのその後の納税努力の有無さらには再犯の可能性等にかかわらず、被告人を実刑に処しなければならない程のものとは思われない。

すなわち、脱税事犯における実刑と執行猶予を分けるいわゆる実刑ラインは、これをほ脱額で見た場合、旧来からおおよそ三億円であるように思われ、右実刑ラインは現在も機能しているかのようであるが、現在の物価(特に地価)水準、経済情勢等に鑑みると、余りにも苛酷であろう。

このような見解については、検察側からの「脱税事犯は国家に対する詐欺罪ともいうべきもので、そのような観点からすると三億円というのは、極めて多額であり、正しく実刑に値する」等の反論が予想されるのであるが、脱税事犯が税法という行政法において定められた行政犯かつ法定犯であることは明らかであるにもかかわらず、自然犯たる詐欺事犯と同視すること自体が問題であって、むしろ脱税事犯のそのような性格からすると、本件における程度の脱税額は、実刑を免れる余地がない程の額ではないと思料する。

<2>については、原審における当弁護人の弁論のとおりであって、要するに被告人は一時幾つかの事業を営んだことはあるものの、いずれも不調に終わり、税金に関する知識経験もないまま、本件当時の不動産ブームに遭遇し、それまで入手したこともない多額の利益を得るに至り、その所得を実名で蓄積する一方、それまでに経験したことのない事態に戸惑い、ついその税申告の時期を逸し、その処理に困っていたのに対し、本件関連の不動産取引の関係会社の税務調査の一環として、税務署から電話による照会を受け、それをきっかけとして、被告人自身の右所得の扱いについて、右税務署に相談したところ、そのことがきっかけで本件が税務当局に発覚したものと認められるのである。

また、被告人は、本件当時、その所得を自己の名義で預金するなどする一方で、その家族ともども、それまでと同じく極めて慎ましい生活を営んでいたものであるが、仮に、被告人が、計画性を持って意図的に本件脱税を実行したのであるなら、そのようなことはあり得ないと思われる。

以上のとおりであるから、被告人の納税意識が健全・誠実であったとは言えないにしても、本件が被告人の無知に起因していたこともまた事実であるところ、原判決も認めるとおり、現在は、被告人において、心から本件を反省し、納税の意義、重要性を痛感しているのであるから、このような被告人を実刑に処することは、苛酷に過ぎるものと言うべきである。

<3>についても、原判決が、本件における脱税の手段・方法について、悪性を指摘している理由を検討すると、要するに被告人が不動産取引仲介の過程で、当該取引には全く関与していない第三者が発行したという意味での架空領収書等を収集したりこれを取引関係者に交付するなどしたこと、いわゆるダミーとして赤字会社を介在させたこと、さらには預金等の増加の原因が貸付金の返済によるものであるように見せ掛けるために実際には、存在しない貸借関係を事実であるように見せ掛けるための工作をしたことの三点であろう。

これに対し、被告人は、当公判廷において、「右の各工作は事実であるが、それらはいずれも人づてに聞いたことをいわば知ったか振りした結果であって、実際は、税金については深い知識がなく、右各工作が何故脱税に結び付くのかは分かっていなかったし、税申告をどのようにするかという深い考えもなかった」旨述べているいるのである。

そこで、被告人の右主張の合理性等を検討するに、脱税というものの仕組みを簡単に述べると、結局、課税当局に対して、実際の所得の発生を隠すことにより、課税の対象となる金額を少なく見せ掛け、最終的に課税額すなわち納税額を法定の額よりも少なく済ませるもので、通常、その実行は虚偽の税申告を行うことによって果されるのである。

従って、架空の領収書の入手、赤字会社の取引介在、貸借関係の捏造といった行為は、それのみでは脱税の準備行為に過ぎず、虚偽の税申告の裏付けとされることによって初めて脱税という犯罪の一部をなすとも言い得るのである。

また、右のとおりであるから、ある意味で脱税の基本が、その所得の秘匿、具体的には所得の発生によって増加した現預金等の資産を隠すことにあることは明らかである。

従って、通常、脱税事犯の解明は種々の不正工作及び所得の秘匿といった所為と税申告の内容との関係を追及することによって行われ、単なる無申告は別種の税法違反として類型を異にしているのであり、脱税事犯における計画性の程度も右の関係において量られるべきものと言えよう。

そこで、そのような観点から本件を見ると、なるほど前記のとおりの幾つかの工作が実行されているのであるが、一方では税申告が行われておらず、その意味で、右工作は意味のないものとなっている。

また、その所得の大半は被告人の実名によって取得した株式あるいは預金として蓄積され、所得の秘匿ということも実現していないと言わなければならない。

ちなみに所得の秘匿という点については、架空の貸借関係の捏造という工作を問題とする向きもあろうが、そのような工作は六億五〇〇〇万円余りの本件ほ脱所得のうちの一億五〇〇〇万円分に止まっており、全体として見ると同工作によっても本件における所得の秘匿が実現していないことは明らかである。

以上のとおりであるから、結局、本件の手段・方法は、脱税事犯という犯罪類型に照らし、かつ、これを冷静に見ると、必ずしも悪質とは認められないものである。

<4>並びに<5>については、当弁護人にあっても、それらの所為を強いて正当化するものではないが、それらのことも、結局は、被告人の税金に関する無知に基づくものであり、また、原審における当弁護人の弁論にあるとおり、脱税事犯としての計画性等の欠如、さらには、関係者の供述が一方的であることや本件発覚の経緯等にも起因するものであって、一概に悪質と断じることはできないものと思料する。

第二 原判決後の情状について

一 納税努力について

被告人は、既に財団法人日本国旗掲揚推進協議会から離れ、住職たる長兄を助けて郷里長野県の寺の整備等にいそしんでいる状況であるため、本件において未納になっている税金の納付も容易ではないのであるが、現在、その親族一同と納税の方策を検討するなど、その努力には真摯なものが認められる。

なお、被告人の保釈金は、その大半が親族や知人において余裕に乏しい蓄えの中から供出したものであるが、本件の判決確定後、これを納税に当てることも検討中である。

(以上の関係は控訴審において立証の予定である)

二 反省並びに更生について

被告人は、現在、本件裁判が係属中であることから、右寺の住職を正式に継承することができないのであるが、毎週の後半には、長野に赴いて、その結果の如何にかかわらず本件が決着した場合に備えて、右寺の仕事に専心しているものであって、その反省の情ひいては更生のための努力にはさらに顕著なものがある。

(以上の関係は控訴審において立証の予定である)

第三 結論

以上のとおりであるから、被告人の現状に照らすと、今となっては極めて多額な納税額、罰金に加え、さらに被告人を実刑に処することは苛酷というべく、その意味で原判決は著しく重きに過ぎて不当であるのみならず、被告人の現状に鑑みても、原判決は破棄を免れず、執行猶予に付されて然るべきである。

平成五年(う)第二六四号

控訴趣意書

所得税法違反 三戸部郁文

右被告人に対する頭書被告事件につき、平成五年一月二六日東京地方裁判所刑事第八部が言い渡した判決に対し、検察官から申し立てた控訴の理由は、左記のとおりである。

平成五年四月一五日

東京地方検察庁

検察官検事 高橋武生

東京高等裁判所第一刑事部 殿

原判決は、罪となるべき事実として公訴事実と同一の事実を認定し、所得税法二三八条一項を適用しながら、検察官の懲役二年六月及び罰金(注)一億五〇〇〇円の求刑に対して、「被告人を懲役一年一〇月及び罰金二〇〇〇万円に処する。」との判決を言い渡し、量刑の理由について、「本件犯行は、昭和六一年、同二年(判決文のまま)の二年度にわたり、全く申告をせずに合計四億六五〇二万五三〇〇円を脱税した事案である。右金額は、近年極めて高額のほ脱犯が頻出したものの、なお高額の範疇にあり、しかも全く申告をしないという点で悪質事案であるといえる。そして、被告人は、他人の税務調査に関して聴取された際に自らも納税を行うかのような口吻を漏らしたことはあるものの、自ら税務署に積極的に赴こうとしたこともなく、平成元年一二月二七日に至って二年度の合計所得が六九五〇万円、税額が二八一〇万八八〇〇円とする期限後申告をしているにすぎないのであって、健全、誠実な納税意識は希薄であったものと判断せざるを得ない。ほ脱の手段・方法については、多数の架空領収書を作成させて所得を秘匿するなどしている一方、その所得の相当額を実名によって留保するなどし、秘匿の態様は一見稚拙に見えるものの、右は課税庁を侮る態度の下に行われたものともみられ、格別斟酌すべき事情とも認められない。また査察が入った後にも捏造した消費貸借、あるいは虚偽の申述がなされたなどを主張し(判決文のまま)、右を補強するために関係者を相手に民事訴訟を提起するなどしており、犯行後の態様も悪いというべきである。その他被告人は自己の関係する不動産取引について、各関係者に脱税のために裏金を交付し、あるいは架空領収書を交付するなど自ら脱税をするだけではなく、第三者に対しても脱税の助力をしているのであってその反規範的な性格は顕著であるといえる。以上によれば、被告人の本件の責任は重く、施設内において長期にわたる厳格な矯正処遇を受けるべきである。」と被告人の悪情状を指摘しながら、その一方で、「しかしながら、被告人は、当公判廷において素直に自己の非を認め、二度と脱税に及ばない旨反省の情を披瀝していること、当初更正に対する審査請求は取り下げ、その後の平成四年三月一三日になされた増額再更正については何らの不服申し立てもせず、本税三億一三三五万四五〇〇円、重加算税三八五万五五六六円、延滞税四六一万〇七〇〇円を支払済みであること、未納税額のうち、一六四六万五〇〇〇円相当(平成四年九月二一日終値)の株券及び二五〇三万〇二〇四円の貸付金債権は国税局に保全されていること、従前、転々職を変え、人的及び物的裏付けのない社団法人を設立して、安易な活動をして日々を過ごし、苦労を重ね続けさせた妻において、なお被告人の帰りを子供らとともに待っていること、また、被告人の兄姉、縁戚においても被告人の矯正に助力する旨誓約していること、出自たる長野県の古刹を血脈相承した被告人の長兄においてはその門跡を被告人に継がせたいとの意思があり、被告人においてもこれに応ずる気持ちがあるとともに檀家においてもこれを容認する状況も醸成されており、更生の途も開かれていること、従前道路交通法違反による前科のほか、格別の前科もないことなど酌むべき事情も存する。」と判示している(判決書五丁表~七丁表)。

しかしながら、原判決の被告人に対する量刑は、ほ脱税額の約四・三パーセントに当たる金額の罰金二〇〇〇万円を併科したにすぎず、その罰金額において極めて低額であって、本件ほ脱税額に見合った適正な罰金額とは言えない上、原判決はこのような低額の罰金しか併科しなかった理由を全く判示していないのであって、結局、原判決は、所得税法違反事件に対する懲役と罰金の併科制度の趣旨を実質的にないがしろにしているのみならず、従来の裁判例とも甚だしく均衡を失しており、その量刑は著しく不当であるので、到底破棄を免れないものと思料する。

以下、その理由を述べる。

第一 所得税法違反事件に対する罰金併科制度の趣旨について

一 罰金併科制度の趣旨について

所得税法二三八条一項は、「偽りその他不正の行為により、…所得税を免れ…た者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」と規定しているので、まず、この罰金併科制度の趣旨について、考察することとする。

そもそも、罰金刑は、「一定金額の剥奪を内容とする刑罰であって、附加刑たる没収や追徴と異なり不法利益の剥奪を本来の目的とするものではなく、不法利益の剥奪は罰金刑の副次的効果として考えられるにすぎない(最判昭和二五年七月四日刑集四巻七号一一五五頁)。」(団藤重光編、注釈刑法(1)一〇四頁)と解されている。つまり、罰金刑は、犯罪者から不法利益を剥奪することを本来の目的として設けられた刑罰なのではなく、犯罪者に対して一定金額を剥奪するという財産上の苦痛を与えて犯罪が経済的に引き合わないことを感銘させるために設けられた刑罰と考えなければならないのである。

かような罰金併科の考え方は、現行刑法上も二五六条二項という形で規定され認容されているところであり(河上和雄・大刑法コンメンタール一〇巻四八四頁、内藤謙・注釈刑法(6)各則(4)五七五頁、大塚仁・注釈刑法一二一四頁)、さらに、営利犯罪に対しては、積極的に罰金刑を併科しようとの傾向も現行法体系の中に見て取れるのである(新矢悦二・大刑法コンメンタール一巻二八五頁)。その一典型例が、営利目的の覚せい剤事犯に対する覚せい剤取締法違反の罰金併科の制度である(同法四一条二項、四一条の二第二項、四一条の三第二項)。同法における罰金併科制度の趣旨については、いずれも平成三年法律第九三号による改正前のものであるが、判例上も、「覚せい剤取締法四一条一項所定の違反者が、たとい不当の利益を得なかった場合でもなお情状により同条項所定の刑を併科することができること同条二項の法意として明白である。」(最決昭和三一年一〇月九日裁判集刑事一一五号四九頁)、「営利目的による覚せい剤輸入罪につき情状により罰金を併科できるものとされているところ、右罰金は、その犯罪の態様からも明らかなように、単に犯罪によって得た不正の利益を剥奪することにあるのではなく、利欲的犯罪者に対し、犯罪が経済的に引き合わずかえってより以上の損失をもたらすものであることを刑罰として感銘づけるにある…。」(東京高判昭和五〇年四月二八日東京高裁刑事裁判速報二〇一〇一号)、「覚せい剤取締法四一条の二第二項後段が、覚せい剤の営利事犯につき情状により罰金刑を併科することができると規定する趣旨は犯人が現実に金銭的利得を得ているか否かにかかわらず、たとい一銭の利得を得ていないときにおいても、財産刑を併科することによって当該犯罪が経済的に引き合わないことを強く感銘させるにあると解するのが相当である。」(札幌高判昭和五六年一二月三一日判例時報一〇一四号一四二頁)旨明らかにされているところである。こうした罰金併科の趣旨は、いわゆる麻薬新法(国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律)が制定され、薬物犯罪の犯罪行為により得た財産等を「不法収益等」と定義付けた上(同法二条)、これら不法収益等の没収、追徴を義務付ける規定が置かれ(同法一四条、一七条)、薬物事犯の犯人からその犯罪行為により得た一切の利得を必要的没収、追徴制度によって剥奪することとなったにもかかわらず、平成三年法律第九三号による改正後の覚せい剤取締法に改正前の同法四一条二項、四一条の二第二項、四一条の三第二項と同趣旨の懲役、罰金併科の規定が残されていることを考えると、一層その趣旨が明白となっているのであり、この法意が罰金併科制度一般に共通する考え方であること論をまたない。

所得税法違反に対する罰金併科制度の趣旨も、これと異なるところはない。右覚せい剤取締法違反の判決例は、いずれも現実に利益を得ていない者に対して罰金を併科することが許されるか否かという点から問題とされたものであるが、本件のような所得税法二三八条一項違反の場合には、現実に利得している(しかも利得額も巨額である。)者に対する科刑が問題とされているのであって、正にほ脱行為者に対して脱税がいかに経済的に引き合わないものであるかを感銘させてその一般予防、特別予防を計るべく罰金を併科する必要性は一層高いものと言わなければならない。懲役、罰金併科制度は、このような趣旨に理解されて、実務上、この種事犯に対しては、懲役と罰金とをほぼ例外なく併科してきたのである。

二 併科する罰金額について

所得税法二三八条二項は「前項の免れた所得税の額・・・が五百万円をこえるときは、情状により、同項の罰金は、五百万円をこえその免れた所得税の額・・・に相当する金額以下とすることができる。」と規定している。これは、罰金を併科する目的が、いわゆる脱税が経済的に引き合わないだけではなく、かえってより一層の損失をもたらすものであることを脱税者に対し感銘せしめるとともに、一般人に対しても同様の自覚を促すことにあるものであることから、当然のこととして、この目的達成のためには、併科される罰金額が、ほ脱税額に見合うものでなければならないことを明白に示した規定である。

したがって、所得税法二三八条二項の規定は、「脱税額が罰金刑の上限をこえる場合には、情状により、罰金額を脱税額にスライドさせて、罰金を脱税額以下とすることが認められているのは、戦前の租税罰を国庫に対する損害賠償と見る考え方の名残りではなく、租税罰の実効性を高めるための措置である。」(金子宏・租税法第二版五七七頁)と解すべきである。

ところで、前記のとおり原判決がほ脱税額に比して極めて低額の罰金を科した理由は定かでないが、もし、その背景に、判決時点における被告人の資力を勘案すべきであるとの考え方が潜んでいるとすれば、それは刑の量定の問題と刑の執行の問題とを混同した本末転倒の議論と言うべきである。すなわち、所得税法違反行為に及び起訴された者は、ばく大な不法の利益を得ているのであって、これを浪費しない限り、税金や罰金を納付する資産は十分形成されているのであるから、結局、このようなばく大な利益を得た者に対して併科する罰金額の量定をするに当たっては、判決時点における資産の有無や多寡を問題とするのではなく、ほ脱税額の多寡を基準とし、高額のほ脱事犯に対しては、そのほ脱税額に見合った高額の罰金を科すべきである。もし、判決時点における資産の有無に拘泥してその罰金額を決するようなことがあれば、脱税行為に及んだ後、つましく生活して資産を残した者には高額の罰金を併科し、脱税による利得を浪費して資力がない者に対しては極めて低額の罰金しか併科せず、場合によっては、罰金を全く併科しないということにもなりかねないのであって、同じ脱税行為に及びながら極めて不合理な差別を生じ、刑罰の均衡を失することとなる。こうした点に思いを致せば、所得税ほ脱事犯の罰金額の量定に当たって被告人の判決時点における資産の有無や多寡を考慮することが誤りであることは多言を要しないところである。

刑法が無資力者に対してすら罰金を科することを予定していることは同法一八条一項の労役場留置の規定があることからも明らかである。

三 所得税ほ脱事犯に対する併科罰金額の実情について

以上詳述したような考え方に基づき、これまで長年にわたって多数の同種高額ほ脱事例において、裁判実務上、納税義務者に対しては、ほぼ例外なく懲役の外にほ脱税額に見合った罰金が併科されてきたのであって、このことは良識ある実務の慣行として定着しているのである。

その状況を平成元年一月以降に東京地方裁判所において判決言渡しのあったほ脱税額が二億円以上の事例について見ると別表一のとおりであって、同表番号15の稲村利幸の事件において、罰金が併科されていないものの(同人に対する判決に対しては、量刑不当を理由に検察官が控訴し、現在控訴審に係属中である。)これを除けば、懲役に執行猶予が付されているか否かを問わず、ほ脱税額に対して、平均約二四・三パーセント(多いものは約四九・四パーセント、少ないものでも約一四・七パーセント。)の金額に当たる罰金が併科されているのである。右事例中の番号22のようなほ脱税額の約一四・七パーセントの金額にしか当たらない低額の罰金を言い渡している事例は、これまでに例を見ない巨額の脱税事犯であって、被告人が、本税及び附帯税等を全額納付した上に、一〇億円の贖罪寄付をしている事例である点が考慮されたものと思われる特殊な事例なのである。

これを本件について見るに、原判決の量定した罰金額は、脱税額に対して僅か約四・三パーセントの金額にすぎず、これは、右の平均値の約五分の一にも満たないのみならず、別表の番号22の最低値である約一四・七パーセントの三分の一にも満たないのであって、原判決は、これまでの同種事案の量刑と比較すると著しく均衡を失していることは明らかである。さらに、原判決は、これほどまでに従前と異なった量刑をしなければならないのであれば、判決の理由中に本件が従前の事例に比して異なる量刑をしなければならない理由を明確に指摘すべきであろう。しかるに、原判決は、前記のような一般的な情状を列挙したのみで、その理由を一切判示していないのであって、罰金併科制度の趣旨を実質的にないがしろにした独自の偏った判決と言わざるを得ない。

ほ脱税額に比して極めて低額の罰金しか併科しなかった原判決の量刑は、この点のみをもってしても著しく不当であり、到底破棄を免れないものと思料する。

第二 被告人に対しては、ほ脱税額に見合う罰金額を併科するのが相当である。

次に、本件事案の情状に即して見ても、被告人に対しては、ほ脱税額に見合う罰金額を併科するのが相当である。

一 本件事案における利欲的動機と巨額の不法の利益について

本件は、宅地建物取引主任者の資格を持たずに不動産売買の仲介及び立ち退き交渉等を行って手数料を得ていた被告人が、所得税を免れるため

1 昭和六一年中に合計五件の不動産売買の仲介を行い、仲介手数料合計四億五八〇六万円を得たことにより、昭和六一年分の実際総所得金額が四九万一四九四円で、分離課税の土地等の雑所得金額が四億一三二六万九七〇〇円であったにもかかわらず、右仲介手数料収入につき、他人の名義の領収証を相手方に交付するなどの方法により所得を秘匿し、右所得税の納期限である昭和六二年三月一六日までに、東京都渋谷区宇田川町一番三号所轄渋谷税務署長に対し、所得税額確定申告書を提出しないで右納期限を徒過させ、同年分の正規の所得税額三億〇四二六万四九〇〇円を免れ(罪となるべき事実第一)

2 昭和六二年中に合計五件の不動産売買の仲介を行い、仲介手数料合計三億一三〇〇万円を得たことにより、昭和六二年分の実際総所得金額が二九六万一六六二円で、分離課税の土地等の雑所得金額が二億四一八五万八三三八円であったのにかかわらず、右仲介手数料収入につき、他人名義の領収証を相手方に交付するなどの方法より所得を秘匿し、右所得税の納期限である昭和六三年三月一五日までに、前記渋谷税務署長に対し、所得税額確定申告書を提出しないで右納期限を徒過させ、同年分の正規の所得税額一億六〇七六万〇四〇〇円を免れ(罪となるべき事実第二)

たという事案であるが、納税義務者である被告人は、いずれも利欲的動機に基づき、相手方に他人名義の領収証を交付するなどして所得を秘匿したことが明らかであり、二年分合計のほ脱所得六億五八五八万一一九四円がすべて被告人に帰属し、被告人は巨額の利益を得ているのである。

二 被告人には健全な納税意識が全く認められないことについて

被告人は、当初から、本件仲介手数料収入による所得を秘匿するため、相手方に対して他人名義の領収証を交付した上、所得の申告をしていないのに預金等が増加している事実が将来発覚して脱税の嫌疑を受けた場合を想定し、これらの資産増加は、過去の貸付金の返済を受けたためであるとの弁解をなし得るように、あらかじめ、東新交易株式会社代表取締役木下典彦こと朴漢洪から、金額をいずれも七五〇〇万円とし、支払期日を昭和五八年三月二〇日及び同年四月六日とする同会社振出にかかる約束手形各一通の交付を受けるなどして周到な準備の下に計画的かつ悪質・巧妙に本件脱税を行っているばかりか、原判決も指摘するとおり、加藤てる子に対しては、「税金の掛からないお金を出す。」などと言って、土地の売却を勧め、その土地の売却代金一六億〇二〇〇万円のうち現金一億七八〇〇万円を裏金として同人に交付し(記録五八丁の二八三表~二八四裏)、右加藤てる子所有の土地を借りていた加藤木材株式会社代表取締役堀越晴雄に対しては、「税金の掛からないお金を付けてやる。」などと言って、立ち退きを承諾させ、立ち退き料二億五〇〇〇万円のうち現金一億五〇〇〇万円を裏金として同人に交付し(記録五八丁の三一三表~三一六裏、五八丁の三三四)、小林末に対しては、「空気を五〇〇〇万円渡します…。」「税金の掛からないお金で、空気と同じですから自分の好きなように使ってください。」などと言って、土地の売却を勧め、その土地の売却代金四億二三〇〇万円のうち現金五〇〇〇万円を裏金として交付するなどし(記録五八丁の三八三表~~三八八裏)、第三者に対しても脱税の助力をしているのであって、被告人に健全な納税意識が全く認められないことは明らかである。

三 被告人は、本税すら全額納付していないことについて

被告人は、前記のように本件脱税により、二期合計で六億五八五八万一一九四円ものばく大な利益を得ていながら、これまで二期合計のほ脱税額四億六五〇二万五三〇〇円のうち本税三億一三〇〇万円余を納付したにすぎず、本税すら全額納付していないのであって、国家の課税権の侵害状態はいまだ解消されていないのである。

このように、脱税行為に及んでばく大な利益を得ているにもかかわらず、本税すら全額納付していない被告人に対して、ほ脱税額に比して極めて低額な罰金しか併科しなかった原判決は、一般人の素朴な正義感に反するものであり、ひいては、申告納税制度の下で誠実に申告納税している正直な納税義務者に対し、深刻な不公平感を植え付けてその納税意欲を著しく減退させ、国民一般の租税倫理荒廃の結果を招く原因となるおそれが大きいものと言うべきである。かかる被告人に対し、何故このような不公平極まる判決を言い渡すのか誠に理解に苦しむものである。

第三 高額ほ脱者に対する罰金刑執行の実情等

被告人に対し法が科すべき罰金が科されて、被告人の現在の資力にとっては高額であるために、被告人がこれを納付できないものであれば、労役場留置の執行を受けて、これを納付すべきだとするのが刑法上の制度なのである。原判決のように何らの理由もなく、被告人に対してのみ特別に罰金の額を減額することは、それは単に被告人に対してのみ何らの理由なく不公平に労役場留置を免れさせてやることを意味するにすぎない。

現に、罰金刑の言渡しを受けてこれを納付できずに労役場留置の執行を受けた者は多い。最近一〇年間の所得税法違反中、罰金の納付ができずに労役場留置の執行を受けた高額ほ脱者の事例は、別表二に揚げたとおりである。

すなわち、同表番号1の東郷民安は、罰金を完納できず、六八歳から六九歳にかけての昭和六〇年四月一九日から同年五月二九日までの四一日間及び七三歳から七四歳にかけての平成二年二月一五日から同年一二月三日までの二九二日間、労役場留置の執行を受けている。

同表番号2の中瀬古功は、懲役の実刑判決と罰金を併科され、平成元年五月二四日から懲役の執行を受けていたものであるが、刑の執行順序変更がなされ、五二歳から五三歳にかけての同年九月二四日から同二年九月二三日までの三六五日間、労役場留置の執行を受けている。

同表番号3の内村健一は、五七歳から五八歳にかけての昭和五九年六月七日から同六〇年五月八日までの三三六日間、労役場留置の執行を受けている。

同表番号4の金丞泰は、六〇歳から六一歳にかけての昭和六二年三月二日から同六三年一月二日までの一〇か月間懲役の執行を受けた上、罰金を納付できず、六五歳から六六歳にかけての平成三年一月二三日から同年一二月一三日までの三二五日間、労役場留置の執行を受けている。

同表番号5の下村博は、懲役の実刑判決と罰金を併科され、平成三年三月二〇日から懲役刑の執行を受けていたものであるが、刑の執行順序変更がなされ、六七歳である同年七月二〇日から同年一〇月二七日までの一〇〇日間、労役場留置の執行を受けている(以上、控訴審において立証予定。)

右の五名中四名は、いずれも被告人より高齢になってから、残り一名も現在の被告人とさほど年齢の隔たりがない時期に、それぞれ労役場留置の執行を受けており、特に、東郷民安は、七〇歳を超えてからの二九二日間、労役場留置の執行を受けているのである。

これらの実情に照らし、ほ脱税額に比して極めて低額の罰金しか併科しなかった原判決をそのまま確定させるときは、同種事件の裁判例と著しく均衡を失し、法的安定性を害することになるだけでなく、今後の同種事件の裁判に測り知れない悪影響を及ぼし、今後更に悪質・巧妙化が予想されるこの種事犯への適切な対処を危うくすると言わざるを得ない。

第四 結論

以上の理由により、原判決は、ほ脱税額に比してこれに見合わない極めて低額の罰金併科の言渡しをした点において、その量刑が著しく不当であるから、これを破棄して適正な判決を求めるため本件控訴に及んだ次第である。

別表一

別表二 高額ほ脱者の罰金刑に対する労役場留置執行状況

(注)

平成五年(う)第二六四号

控訴趣意書の訂正について

所得税法違反 三戸部郁文

右の者に対する頭書被告事件につき、平成五年四月一五日付け控訴趣意書の記載に誤記があったので、左記のとおり訂正を申し立てる。

平成五年四月一九日

東京高等検察庁

検察官検事 町田幸雄

東京高等裁判所第一刑事部 殿

同控訴趣意書「記」の一ページの頭初から三行目に「一億五〇〇〇円の求刑に対して、」とあるのを、「一億五〇〇〇万円の求刑に対して、」と訂正する。

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